国際教育センター留学生ユニット長挨拶

グローバル教育支援機構 国際教育センター留学生ユニット長

王 怡人

私が来日したのは1991年頃でした。その頃,勤めていた台湾の小さな広告代理店で日本の80年代の広告作品と出会い,そのユニークな表現と言葉の美しさに惹かれて,日本留学を決心したのです。ここでは形式的な挨拶の言葉の代わりに,思い出話から2つのエピソードを紹介したいと思います。

 

言葉は世界を知るフィルターです。

広告について勉強するために日本の大学院に進学しました。その頃,先生の紹介で言語学や記号論など経営学の分野であまり馴染みのない学問を知り,その中から「言葉」の役割について意外なことを知りました。

普段何気なく使っている言葉は単に物事を指す道具だけでなく,自分を囲う世界を認知し,価値観を形成するフィルターなのです。私にとって,このことから次の二点で勉強になりました。一つ目は,外国の文化や人々の価値観を理解するために,まずその国の言葉をマスターする必要があるということです。しかし,外国語を習うのに教科書や辞書だけでは不十分です。やはり現地に赴いて,人々とふれあいながら生活の中から習うのが一番です。ここで,言葉をマスターするための魔法の言葉をご紹介しましょう。それは「これ,何という?」という簡単なフレーズです。このフレーズを使えば,周りの人々は瞬時に外国語の先生に変身するからです。

二つ目は,母国語と比較して言葉表現の違いから外国の文化や価値観を理解することができるということです。話は少し飛びますが,たとえば「水」を指す言葉として,英語や中国語では「水」という名詞の前に形容詞を付けてそのバリエーションを表しています。(「hot/cold water」,「温/熱/氷水」)。もちろんこの文法ルールは日本語にも適用します。しかし,日本語には「白湯」,「ぬるま湯」,「お冷や」,「熱湯」など水の温度を表す専用の言葉があります。このように,物事を指す語彙の豊富さがその言語体系の特徴を表しているので,それを意識して習うと,その学習がいっそう楽しくなるはずです。

思いやりの気持ちをもった言葉遣いはその人の品位を表します。

言葉は生き物です。それは,時代の変化とともに言葉も変化するという意味です。ここで「言葉遣い」を取り上げるのは,「下品な言葉を使うな」ということをいいたいのではなく,むしろ言葉を使う際,自分の意図や態度に気をつけてほしいということについて苦言したいからです。

話はまた飛躍しますが,個人的に好きな絵があります。

それはピーテル・ブリューゲルが画いた『バベルの塔』という作品です。その絵がモチーフにしたのは旧約聖書の中にある「天に届く高い塔」です。しかし,なぜこの絵画を紹介するのか?その理由は,共通言語を使ってうまく意思疎通ができた人間たちが傲慢になり,高い塔を建て神様に近づこうとしたところ,神様が怒ってその塔を破壊し,罰として人間の言葉を分断したという神話があるからです。

私にとって,この絵画とそれにまつわる神話が意味するのは,意思疎通の道具である言葉が分断された人間同士はうまく意思の疎通をはかれないから,謙虚な姿勢で相手の言葉を理解するように心がけすべきということです。しかし現実では,意思疎通がうまくできないから,様々な諍いや争いが起こるのです。

しかし,諍いや争いが起こる本当の原因は言葉にあるのではなく,むしろそれを運用する人たちの姿勢と態度にあるのではないかと思いました。

これについて,二つ目のエピソードを紹介します。来日して日がまだ浅い頃に,些細なことで韓国人の同級生と口論になりました。しかし,互いの国の言葉を知らないため,日本語で喧嘩することになりました。問題は,日本語のなかに人を罵るための汚い言葉がそれほどなかったから,思い切って喧嘩することができませんでした。

それからしばらく考えました。日本人同士はいったいどうやって喧嘩するのか?周りの日本人に聞いたら,二通りの答えがありました。一つは,そもそも日本人同士はあまり喧嘩しないという答えです。そしてもう一つの答えは,ごく普通の言葉を使って相手を揶揄するというスタイルで喧嘩するのです。

なるほど。喧嘩するための言葉がなくても喧嘩ができるのです。このエピソードを通じていいたいことは,普通の言葉を使っても言う人の姿勢や態度によってその言葉の意味が変わってしまうということです。このことからさらに言えば,丁寧な言葉遣いをしても,態度がよくなければ相手に喧嘩を売ったように受け止められたりすることも十分有りうるということです。

怒って喧嘩するのはやむをえないが,現代社会の仕組みにおいて,人の仕事は他の人の支えによって成り立つのです。ある時点で怒りの勢いで人を見下したり,傷つけたりしたら,めぐりめぐってそのつけは最終的に自分にふりかかってくるのです。人は皆それぞれ違います。そして皆互いに支え合っています。だから,これらのことを意識し互いに思いやって,優しい態度をもって言葉遣いを心がけてみましょう。

人の品位は決して財力やオシャレな服やブランド品で構成されるものではありません。むしろ他人に対して思いやりの気持ちをもって優しい言葉遣いができる人だけが,周りの人たちに品位のある人として認められるのです。